デザインの力

 刀剣界最高の「正宗賞」を受賞した現代の名匠が、人材を見極める基準を語っている。「下手な子、不器用な子がいい。」なぜか。器用な弟子は、何でも無難にこなすから、仕事を軽く見がち。結局、刀一筋にならないことが多いという。「千年の技と美」に挑む刀剣の世界では、要領や小手先など通用しない。技術の巧拙より、うまずたゆまず、鉄をたたくことに精魂を注ぐ弟子こそが大成する。だから「不器用なことは決して不利ではない」と。いくら才にたけていても、苦労や下積みのない人生は刃こぼれがしやすい。障害につまづきやすいものだ。鉄は何度も打たれることで、不純物がたたき出され、強靭な剣になる。人間もまた、苦難を経て本物の人格となる。平凡でいい。必ずしも特別な才能はいらない。ただ真っ直ぐに素直な心を持ち、真面目に地道に行動をしていきたいと思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 昨年末、社内の営業の方からデザイナーとして嬉しい言葉をかけていただいたので留めたいと思う。昨年は某お菓子メーカーが中古ビルを購入したので、貸会議室として運用するため、改修をお願いしたいという仕事がきた。ただ運営は某運営会社が行うとのことなので、仕上げは全て決まっているという。こちらで行えることといえば、WCや間仕切り等のプランニングだけである。某運営会社からすれば、ここの会議室のランクは一番低い料金設定だという。なので仕上げといっても安物のクロスと安物のタイルカーペットだ。少しでもいい空間になるよう、プランニングと少し覚えた建具の納まりや、照明の配置、空調の吹き出し口の配置等を工夫することで心地よい会議室になるようにと考えた。会議室といえばただ単に部屋に窓がある、外部と切れた空間が一般的だ。前回の記事で示したように、人間にとって外部を感じることは大切なことなので、会議室と外部の間に縁側のような中間領域を挿入することで、外部と緩やかなつながりを感じる平面構成とした。中間領域は、廊下と兼用して休憩スペースとしても活用でき、窓を開け放てば外部になる。外部を感じる廊下を通って、会議室にアプローチするということだ。中間領域を設けることで、会議室への直接的な日射もなくすことができる。ディテールを収めることはコンセプトをより強調する作業だと考える。雑多なものを排除することで、コンセプトを表現する手法を際立たせるためのものだ。そのようなことから建具の納まりや、設備の配置にも気を使いながら設計をし、現場まで足を運び、無事竣工を迎えることができた。短い工期にも関わらず、融通をきいてくれ、頑張っていただいた現場の方々に感謝したい。内覧会を開いた時に運営会社の方々が口を揃えて言った言葉がある「貸会議室としてのランクの設定を間違えた。もっと料金を高く取れるのではないか」と。その時はなんとも思わなかったが、その場所に一緒に居合わせた営業の方からその後言っていただいた言葉が嬉しかった。「今まではデザインがなんぼのもんじゃいと思っていた。けど安物のクロスに、安物のタイルカーペットでありながら、運営会社にランクを間違えたと思わせたことにデザインの力を感じた。」と。デザインに意味を見い出さず建築の営業を今までしていたのかと言いたいことはさておき、デザイナーとしてこれほど嬉しい言葉はない。その言葉に、自身もデザインの力に気づかされた。今回のことも空間を通して人の心を動かすことができた結果であると考えている。前回に引き続き、少しもやもやしていたものが晴れてきたような感覚だ。まだまだ、人の心を豊かにする建築の可能性を探っていきたいと思う。

軸線への思い

 リオ五輪の出場選手が続々と決まる一方、選考に漏れ、競技生活に区切りをつける選手もいる。「ここまで長く真剣勝負をさせてもらった競技生活は、幸せだと思う。悔いはない!」4個の金メダルを獲得した水泳・北島康介氏の、引退会見で見せた笑顔は記憶に新しい。晴れやかな表情は、怪我や重圧を勝ち越えてきた、競泳人生を物語っていた。
この春、47年間勤めた会社を”引退”した近所の方に駅でばったり出会った。その方の若手社員時代の苦労話が尽きなかった。一番心に残ったのは別れ際の言葉とその表情だった。「最高の道を歩むことができ、本当に誇りに思う。全てが財産だよ」先の北島氏は「苦しい時が長かった。喜びが味わえるのはほんの一瞬。毎日プールと勝負だった」とも語っている。苦しんだ分だけ、喜びは大きくなる。一日一日、一瞬一瞬を挑戦し続けた人だけが、心の充実を得られる。試練に直面した時こそ、成長の節を刻む最良の時が来たと受け止め、戦おう。「やり切る」と覚悟を決めて進む人生は、幸福である。

IMG_1400 災害公営住宅の集会所の設計を担当した時のことを少し。建築の配置を考える際、敷地の周辺の環境を読み解き、その環境との関係性を構築するように配置を決定するわけだが、その手法のひとつとして、その場所として意義のある軸線上に建物の方向を向けるといった事例をしばしば見かけることがある。かつてはその手法に疑問を感じていた。広域にその建物を真上から見下ろせば建物が軸線上に向いていることがわかるが、建物は普段の生活の中でアイレベルで見るわけなのでそのコンセプトの情報を事前に知らない限り、日常的に気付くことはまずないといっていいだろう。そんな考えを持っていたが、気仙沼の集会所の設計の際、ある想いのもとあえて軸線上に建物を配置した。気仙沼という土地において大島という島は、その場所の風土として欠かせない存在の島であるという。滋賀県でいう琵琶湖のような、静岡県でいう富士山のような‥。さらには東日本大震災の時、多大な被害があったのは事実だが、それでも大島があったおかげでいくつかの津波を妨げてくれ、大島がなければもっと多大な被害があったという話を聞いた。そんな場所の大島というその土地のゲニウスロキに人々の意識を向け、その土地そのものを日常生活の中で感じて欲しいと思った。苦い記憶も、楽しい記憶もあるかもしれないが、いずれにせよその土地での記憶のすべてを真摯に受け止めて欲しいと思ったからだ。集会所のボリュームは二つの箱が角度を変えて重なり合っている。ひとつは住宅棟と同じ角度にあり、一体性を保つ。もう一方は大島の山頂に向けた。さらにピロティ越しに大島の山頂が切り取られるように視線の抜けを確保した。また、そうやって決定した箱が角度を変えてただ重なり合うだけでなく、そのズレが共用部に広がりをもたらし機能的にもプラスとなる構成だ。集会所への歩行路上、集会所のピロティ越しに大島の山頂を望むことができるのだが、こう言っておきながら利用者の何人の方が気づくかわからない。それでも、もし気付いた方がいれば大島を介してその土地の記憶に思いを馳せて欲しい。

生きられた建築

 一年以上ぶりの更新。人生生きていく上で、何かモヤモヤしたものがある時に、自分の考えの整理として、このblogに戻ってきている気がする。これからの時代の建築に必要なものはなんだろうか。ずっと前からそんなことを考えていた。

 僕が生きていく上で指針としている言葉にこんな文言がある。「蔵の財より身の財すぐれたり、身の財より心の財一番なり。」この言葉は人間が生きていく上での人生の目的を的確に捉えている言葉だ。「蔵の財」は財産や地位や名誉を示しており、「身の財」は体の健康をいう。いくら財産や地位や名誉があっても、体が健康でなくてはなんの意味もないし、「心の財一番なり」というように極端な話、体が健康でない状態でも、どんな困難も乗り越えられる心、人のために使命を果たす心、人のことを思いやれる心を持つことができれば、それが本当の幸福であるということである。これを「絶対的幸福」といい、「蔵の財」を大事にすることに見出す幸福を「相対的幸福」という。ただ勘違いしてはいけないのは、「蔵の財」を求めてはいけないというわけではない。目標にすることは良いがあくまで生きる目的にしてはいけないということだ。目標と目的は違う。例えば、高校球児が甲子園を目標にするその目的は、みんなでひとつの目標に向かって頑張ることの大切さ等を学ぶことにあるといったことだ。しかし、人々は「相対的幸福」を目的に生きがちだ。「心の財」を表すこんなエピソードがある。ある小学生は肢体不自由で片腕がない。周りからは手無し人間と言われた。その子は母親に言った。「僕を産んでくれてありがとう。僕は片腕がないけれど、これは個性なんだ。走りが速かったり、遅かったりするのと一緒だ。僕には僕にしかできない使命がある。」と。普通ならみんなと違う僕はなぜ生まれてきたんだろうと思ってしまうかもしれない。けど使命と捉えることができるその心こそ絶対的幸福である。僕はこの考え方を近年の社会の流れにも当てはまっているように思う。「蔵の財」はバブル時代を示し、まさに地位や名誉、財産といったものが一番とされていた時代のような気がする。あのころの建築も他との差異をつけるが如く、装飾だらけの非常に醜いものばかりだった。そしてバブルが崩壊し、環境問題が叫ばれるようになった。これは「身の財」に当てはまるだろう。この流れでいくと次の時代には「心の財」、心の大切さがテーマとなる時代が必ず来るだろうと考えていた。そんな中、3.11の大震災が起こった。訪れた悲劇。しかし、震災が起きてからの時代の変化を見ていると、これを期になにかしら社会は少なからず心の大切さに気づき始めたような気がした。人間は根源的には、人の為に役に立つことや、困難を乗り越えることに幸福を感じるようにできており、それを表現する場所がなかっただけに過ぎない。

 この世の中の事象は空間に表れるものと心の内面に表れるものとの二面性に分けることができる。それはカントが言うような「空間化された◯◯」と表現されるものと、ベルクソンのいうような「生きられた◯◯」と表現されるものである。過去に哲学はこの二つに視点から常に語られてきたように思う。「時間」という言葉の定義を考えてみよう。時計のように、針の空間的動きによって示された時間を「空間化された時間」という。この時間は絶えず一定のリズムを刻み、周りの状況に影響されない。方や、楽しいことしている時間は早く感じたり、嫌なことをしている時間は遅く感じたり、心の中に感じる時間の長さを「生きられた時間」という。これは状況によって感じる長さが変わってくる。近年ではこの両面性をもって「時間」と定義された。科学と宗教もこの二面性に分けられるのではないだろうか。科学は空間化された○○に代表され、宗教は生きられた○○に代表される。科学も宗教も、元は人間の幸福という同じ目的のために生まれたものである。科学のいう幸福とは利便性への追求であり、空間化された事物として出てくるものである。宗教は、心の内面の幸福感への追求であり、生きられたものとして内面に表れるものである。学問もこの二面性に分けられるのではないだろうか。物理学や生物学、化学や医学といった学問は空間に現れる事象として捉えられ、哲学や心理学、倫理や音楽までも心に影響される学問だ。両者は例えるなら、車の両輪のようなもので両方大切なものである。心の内面に表れる事象は仏教の言葉で「一念三千」という言葉がある。刹那の間に人間の心は三千もの心の移ろいがあるという概念である。非常に高度な概念で難しく、かたや空間に表れる事象は因果関係がはっきりしていてわかりやすい。それゆえ、「心の財一番なり」というように心の内面に表れるものも大切な概念であるにも関わらず、人々は科学の発展に力をいれた。心の発展もままならぬまま、発展した科学により、人間は戦争という悲劇を生み出し、幸福の為にやってきた科学の追究が、不幸という惨事を招いてしまったのである。

そんな「心の財」。思いやりや、助け合いの豊かな心を育む為の建築っていったいどんな建築だろうか。映画や音楽や小説というのは、直接的に人を感動させたり、悲しませたり、喜ばせたりすることができる。それらのツールを通してがんばろうという気持ちになったことがある人は少なくないはずだ。しかし、建築でそのように人の心の内面に直接的に語りかけることなどできるのだろうか。建築とは単に人々の中に異物を挿入しているだけなのではないのだろうか。施主の機能主義的要望と、法律と、上の代が作り上げた形式にがんじがらめになりながら設計をしてしまっている自分に嫌気がさし、本当は建築が持つ可能性なんてそんなにないんじゃないんだろうかとまで考えてしまっていた。そんな時にリハビリテーション病院の設計の話をいただいた。真に患者のための病院とは。人の心を育むきっかけとなる建築に挑戦しようと思った。

 建築見学会でフィンランドに行った時に、フィンランドは自殺率がNo1だという話を聞いた。緯度が高いため、冬場の日没の時間が早く、日の出の時間が遅い。暗闇がもたらす弊害だ。直接的ではないにしろ空間が人々に与える影響は大きいことを物語っていることに気づいた。そんなことを思っていると、仏教の概念に「三世間」という概念があることを思い出した。十界×十界×十如是×三世間=一念三千を示す概念のうちの三世間である。三世間とは「衆生世間」「国土世間」「五陰世間」を示す。「衆生世間」は人々を指し、「国土世間」は大地や自然、物体などその国土を示し、「五陰世間」は人間の五感を示す。五感を用いて人間や、国土に生命を感じるという概念だ。だから人はただの物である仏像に生命を感じ拝み、ゲニウスロキのように場所の精霊を信じる。そうであればそのような関係性を建築を使ってうまく構築すればよいのではないかと考えた。そこで僕は、自分の経験をもとに、どんな状態に身を置いた時、周囲との関係性の中でどんな心の状態になるかを分析することにした。窓がない部屋に身を置いた時、砂漠の真ん中に身を置いた時、縁側の空間に身を置いた時、森の中に身を置いた時、全く自分の知らない場所に身を置いた時、人が多くいる時、いない時…。ひとつひとつ条件を変えていきながら、心に影響してくる条件や要素を分析していった。その条件から患者同士の関係性、自然との関係性、場所との関係性に落とし込み、吹き抜けと中庭を用いて、光や風や緑を感じながら、他の患者さんがリハビリを頑張っている姿を見て自分も頑張れる気持ちになれる空間を作り上げたのだ。竣工後、設計者である僕が横にいることに気づかず、中庭で「なんかよくわからないけどこの場所気持ちいいな」と漏らしたスタッフの言葉が何より嬉しかった。「心の財」を育む建築。「心の財」を育むデザイン。その可能性を少し示すことができた気がした。「生きられた建築」。まだ答えは見えないけれど、人々の心の豊かさを育む建築を創っていきたいと思う。

自分の内に相手を入れる

IMG_1464IMG_1488「大漁旗を貸してほしい」。昨年の春、東北の漁師が頼まれた。
「小学校の運動会で使いたい。大漁旗を子どもたちに見せてあげたい」という。漁師は、「栄光丸」と染め抜かれた旗を手渡した。栄光丸は、4年前の東日本大震災の津波で海に消えた。船だけではない。人生を懸けてきた海に、人生の土台を根こそぎ奪われた。震災後、多くの人の支えを力に立ち上がり、地域の復興をけん引しているという。後日、子どもたちが夏休みを利用して漁師を訪ね、手作りの大漁旗をプレゼントしてくれた。若緑の下地に、栄光丸の大漁旗と、「がんばれ」「ありがとうございます」などの文字が丁寧に書かれていた。震災に立ち向かう漁師の話を聞いて、一生懸命に作ったのだ。
漁師は「気持ちがうれしかった。それが復興を加速する力になる。
この旗を新しい船に掲げたい」と。相手を「助ける」ことは大変でも、相手に「関心を持つ」ことは誰にでもできるはず。関心は英語でinterestと言うが、同語はラテン語のinter(内に)―esse(存在する)に由来する。”自分の内に相手を入れる”ということだろう。関心を持つ、つまり、”あなたを、私の心の中に入れています”と伝えることが、励ましにつながると思います。

2014年。仕事の関係上月に一度、被災地のひとつである気仙沼に訪れていました。やっと完成を迎える復興住宅。一年間通いつめ、もう来る機会もなくなると思うと少し寂しい気もします。しかし、まわりを見渡すと、土地はまだまだ土盛りを行っている状態で、復興にはどれだけの時間がかかるのだろうかとその時間の長さに感覚的にも不安を覚えます。先日、気仙沼から車を30分程走らせると陸前高田に行けるので、初めて訪れてみました。そこは目を疑ってしまう信じられない光景でした。4年経っても、変わらぬ更地。しかもそこには巨大なベルトコンベアー。毎日、昼に一度山を爆破し、土盛りの土を運んでいるという。その仮設のベルトコンベアーに何億というお金をかけ、土盛りの軟弱地盤の上に本当に建物は建つのか、本当にこれが復興の正しい道なのか、と思ってしますほど不安になります。どこか自然を支配しようとする人類。自然の脅威にかなわない現実。なにか自然と共存するようなかたちで人類がこの先を生きていける道はないのだろうか。悲しさで目に少し涙を浮かべながら、運転の道中、少し人間について考えさせられました。

ひとりの人間の持つ可能性は無限大

なんとなく心機一転がんばろうという思いがでてきて、ブログとHPを新たに作りました。外に発信していくものというより、自分の中の整理。その都度考えていることを留めるという感じの日記的なものです。将来的に読み返した時に、人生において昔はどのようなことを考えていたのかというのを思い返すためのツールになると思います。

僕は人生の指針に二つの言葉を胸に生きています。

「ひとりの人間の持つ可能性は無限大」「蔵の財より身の財すぐれたり、身の財より心の財一番なり」このふたつの言葉は僕の人生の師匠からの言葉です。そのふたつの言葉のうちHPにも載せている言葉について少し話したいと思います。

誰だって子供の頃は、将来の夢というものを描いていたと思います。しかし、生きていく中で、自分の才能や、向き不向きなど、他人と比べていく中で、自分の器というものを測ってしまい、いつしか夢をあきらめ、なんとなく生きてしまっているという人は多いのではないでしょうか。
実は言葉を胸に生きている僕でも、建築というフィールドの中で昨年は少し自分の可能性はこんなものかなと限界の線を引きかけました。しかし、ある出来事を皮切りに、もう少し自分の可能性を信じてみようと思いました。

昨年は初めて自分で設計した建物が竣工を迎えました。基本から実施、設計監理まで、現場に自分で足を運び建物が出来上がるまでの一通りの経験をさせていただきすごく成長ができました。そして、その設計コンセプトは学生の時から考えてきたことを、少し僕なりに入れ込んだものになっています。学生時代、そんなに建築に対する評価をもらったことがない僕でしたから、時間をかけて苦労してつくってきたこの建物がある程度の評価もされなかったら、自分もここまでかなという思いがありました。それは工事中によぎった考えでした。

そんな中、昨年3月。会社にある一通の手紙が届きました。それは、僕の学生の頃の論文を、主要参考論文として、取り扱ったため、公聴会に来てほしいという、当時、名古屋工業大学の米澤隆さんと北川先生からのお手紙でした。僕の論文は大学でも評価はされなかったため、自分の考えていることにもやもやしていて、それは本当にうれしいことでした。きっとこれは何か意味のあることだと思い、東京から奈良県の現場に毎週通っていた僕は、ちょうど帰りに名古屋で途中下車し、公聴会に足を運びました。北川先生に米澤さん、谷村さん、そしてゼミの学生たち、公聴会後、懇親会と言いながらただひとりの部外者である僕を受け入れてくれていただけたこと、ありがとうございました。いろいろとイジられましたが新幹線の終電まで話ができたこと楽しかったです。

そんな出来事を皮切りに、この建物を工事中にも関わらず、ある小さなコンペに応募しました。そこで佳作をいただくことができました。審査員に建築ジャーナリストの淵上正幸さんがおられたこと。また、工事中のため竣工写真もなく、コンセプトシートだけでしたが、逆にそれで佳作をいただけたこと。論文の件に続き、何か自分の考えてきたことが評価されたようで、本当に嬉しくなりました。

その時に、もう少し自分の可能性を信じてみようと思うようになりました。昨年の「近代建築」11月号にも掲載いただき、本当に感謝しています。

自分の中で線引きをし、あきらめてしまえば、そこで成長は止まってしまいます。時には我慢することも大切です。それでも自分を最後まで信じていける人こそ、夢を実現できるのだと思います。大きく成長でき、自分の可能性を信じることができた2014年。2015年以降、今後はどのようになっていくのか。それでも自分の可能性を信じて、まだまだ日々がんばりたいと思います。実はもうすぐ僕の2作品目が完成します。これはコストもなく、クライアントに設計意図を理解してもらえず、設計監理もできなかったため、自分のやりたいことが1割くらいしかできていないものですが、今後の参考としてひとつの経験になればと思っています。